正しいも正解もない
突然ですが、ギターを習っています。
※音楽が趣味なんですと告白した記事はこちら⬇︎
https://ryohara.hatenablog.com/entry/2019/02/22/081240
そのギターのお師匠のブログで、「コピーをした方が良いか問題」が取り上げられました。
※こちら⬇︎
http://yuichitanaka.blog.jp/archives/52468369.html
コピーとは、ざっくり言うと、ある曲をそのまま楽譜どおり演奏することです。
対義語は、作曲ですね。(異論は受け付けませぬ)
さて、お師匠と飲んでいる中その話になり、結論は「そんな問いしてるくらいなら、さっさとコピーすれば」ということなんですが(詳しくはブログをお読みいただいた方が!)、
そういう問いを出してしまう気持ちも分からないでもない。
要するに、効率的にうまくなりたい、最短距離を行きたいということなんだと思います。
でもね…
「どうすればいいんですか?」って罪深い
正解や最短距離を求めたがる人は一定数いらっしゃいますが、
例えば何かをきちんと教えているとき(大元の哲学やら理論やら、具体的手法に移る前段階の座学のとき)に
「それでどうすればいいんですか?」
と聞かれるとゲンナリしてしまうのは、ぼくだけでしょうか?
相手の脳のCPUを超えて講義してしまってたら教えるこちらが悪いんですが、
何となく「最短距離を教えてください!」とか言われるとモヤモヤしてしまうのです。
だって、
最短距離ってそもそも分からないし、
自分の中の最短距離が相手の最短距離とは限らない。
それに、
最短距離を教えたら、その道しか進めなくなるんじゃないの?
って思うのです。
つまり、
「最短距離以外は正解ではない」
という思考回路に陥りませんか?と。
それじゃあマニュアル人間、ロボットになってしまうし、数年後にはAIに取って代わられるだろうなあなんて思います。
しかもこの問い、日常的に当たり前だし、何しろググれば「どうすればいいんですか?」という問いはかんたんに満たされる。
罪深い問いです。
「正しい努力」って何なんだよ?
時々見かける「正しい努力」というフレーズ。
多分、「目指すものに近づかないことを続けても時間を無駄にするし、続けることを目的にすり替えてしまう。いつも目的を確認して、それに資することをきちんと行うべし」ということなんだろうなーと思います。
が、こういうキーフレーズって独り歩きしがちで、しばしば
「正しい努力じゃないと意味がない。目指すものに近づかない努力は自己満足にすぎない。」
という感じのネガティブな変換がされることが。
つまり、
「目指すものに近づく&時間を無駄にしない=最短距離=正しい努力」
となるわけです。
ですがね…
回り道はそんなに悪くない
「正しい努力」信仰からすれば、紆余曲折、回り道、試行錯誤、もがくなどは、正しくない努力・無駄な努力というわけなのですが、
正しかろうが正しくなかろうが、それは努力なわけで、何かしらのプロセスには違いないんですよね。
プロセスのいいところは、目標達成という成果以外にも、スキルが身についたり、見識が広がったり、仲間ができたりと付随的な効果が生まれることです。
例えば…プロギタリストになって超売れたい!と思って、豊洲市場に通い詰めて魚の目利きを勉強するのは明らかに正しくない努力ですが、美味しくてコスパのいい海産物を仕入れるスキルは入手できると思います笑
なので、基本や原則、王道は押さえつつ、紆余曲折、回り道、試行錯誤、もがいていくのが面白いんじゃないかなと。
時間はかかれども、目指すものに近づきながら、人生が豊かになるんですよ。
さらにそこから、自分のスタイルも生まれてくるんだと思います。
それに、人それぞれ得意不得意があるので、何が自分にとって正しい努力か分かりませんし!
これだから時間は面白い
最後は、最近ハマりつつある「時間って何だ?」という問いに収束します笑
ゴールに近づくには時間をかけさえすればいいものではなく。
かといって、時間をかけない方法を模索すると、失うものもある。
ほどほどがいい、ということなんですが、
時間を有意義なものにするには、何が大切なんですかね??
ゆっくり考えていきたいものです。