ルールとあたたかさ
公務員をやってると、ルールを守ってばかりいるし、守られてない状態にとても敏感になるもんです。
ルールを守らせるために、新たな仕事をつくったりも。
これが続くと、「ルールを守る/守らせる」ことが仕事の目的になってくる感じもします。
でも、それが本当に目的なのかな?と。
そもそもルールって何のためにあるんでしょう??
これに関して、知り合いの政治学者の方が言っていたことばに妙に引っかかってます。
「法律は人権を守るためにあるんです」
実際は「(ある意味)人権を守るためにある」がシックリくるけども、なるほどなーと思わせた言葉でしたね。
で、そうすると、「法律がそうなら、ルールだって誰かを守るためにあるべきなんじゃないか?」と思えてきます。
たとえ明文化されてないルールにしても。
例えば、、
「エスカレーターの片側を空ける」という謎ルールがありますよね。
もちろん明文化されてないし、エスカレーター業界は「やめてください」という態度をとっています。
けれども、暗黙の了解みたいなルールになっていて、「片側ふさいでしまう人はおかしい」と思う方も多いと思うんです。
で、「エスカレーター片側空けルール」が「暗黙の了解」「空気読めよ」ではなく、「誰か」を守るためにあるのだとしたら…、、
その守られる誰かとは誰になるのでしょう?
いくつか答えがありそうですが、
例えば「急いでいる人を守るため」とも言えますよね。
そうすると.、「急いでいる」とはどんな場合かと想像すると、、
「家を出るときに子どもが泣き叫び、なだめていたら出るのが遅れてしまった。けど、大切な約束、ギリギリ間に合うかもしれない!」
なんて身近なシチュエーションが浮かんだりして。
逆に、ぼくがエスカレーターを駆け上がろうとしてたら、そんな風に想像してほしいな…とも。
(実際、あるあるなことなんで)
守られるべき誰かには、それぞれの事情、その背景にはそれぞれの人生がある。
そんなこと考えると、殺伐としたラッシュアワーも幾分マシに…なる…かな?
ともかく、ルールをつくったり、守ってもらおうと言うときに、「守るべき誰か」と「そのストーリー」を想像するのは手だろうなと、これを書いてて思いました。
そうやって、ルールや仕事に体温をこめていきたいもんです。
それでは、皆さん、すばらしい金曜日を!